人は、自分の顔を見すぎているのか

監修医師

モレロ オースティン誠

MSA美容外科 院長モレロ オースティン誠

1989年、アメリカ生まれ。10歳より沖縄で育つ。日本とアメリカ、双方の文化や価値観に触れてきた経験を生かし、患者様一人ひとりが持つ異なる美意識や希望を尊重した診療を大切にしています。日本語・英語の両方で診療を行い、国内外の知見を取り入れながら、自然で長期的な美しさを目指した美容医療を提供しています。大手美容外科にて約8年間、美容外科・美容皮膚科診療に携わり、2024年にMSA美容外科を開院。

略歴
2018〜2024年 大手美容外科沖縄院 院長
2024年 MSA美容外科 開院

資格・所属学会
日本美容外科学会(JSAS)認定専門医
日本美容外科学会(JSAS)正会員
日本美容外科学会(JSAPS)関連会員
The Rhinoplasty Society 海外会員
American Academy of Cosmetic Surgery(AACS)正会員
日本美容皮膚科学会 正会員
日本美容外科医師会 正会員

鏡、ルッキズム、そして美容医療の「ちょうどよい距離」

朝、洗面台の鏡を見る。

スマートフォンを開けば、写真の中に自分がいる。SNSを見れば、他人の顔が並び、その間にまた自分の顔が現れます。インカメラを起動すれば、撮るつもりがなくても、自分の顔が一瞬こちらを向きます。

考えてみると、現代人は人類の歴史の中で、最も頻繁に自分の顔を見ている世代なのかもしれません。

私たちは、自分の顔を見すぎているのでしょうか?

そして、見た目を気にすることは、どこまでが「身だしなみ」で、どこからが「ルッキズム」なのでしょうか。

美容外科医という仕事をしていると、この問いを単純に肯定することも、否定することもできません。

なんでもかんでも「ルッキズム」と否定するのも違うし、「身だしなみ」と全てを肯定するのも違うから。

鏡は、もともと単なる日用品ではなかった

現在の鏡は、あまりにも身近なものです。洗面所にも、玄関にも、車にもあります。

しかし、人類の長い歴史の中で、誰もが鮮明な自分の顔を、好きなときに見られるようになったのは比較的最近のことです。

古代エジプトでは、鏡は身だしなみの道具として男女に使われ、中流以上の住居にも存在したとされています。しかし、その古代の鏡には、磨いた黒曜石、銅、青銅などが使われました。製作には技術と資源が必要で、現代の鏡ほど鮮明でもありません。

その一方で、鏡が単なる生活用品ではなく、権威、占い、治療、埋葬、神への奉納と結びついた社会も数多くありました。中世の青銅鏡にも、占いや魔術的な医療に使われたと考えられるものが残っています。

日本でも、鏡は特別な意味を持ってきました。

光を反射し、姿を映す鏡に神秘的な力を感じたのでしょう。本物の鏡だけでなく、鏡を模した石製や土製の模造品も出現していたため、その力は邪悪なものを退けると考えられ、重宝されたのではないでしょうか?

『古事記』『日本書紀』に登場する八咫鏡(やたのかがみ)は、天照大御神と結びつき、三種の神器の一つとされます。

つまり鏡は、ただ「自分の顔を確認する板」ではありませんでした。

こちら側の世界と、目には見えない世界をつなぐもの。

人の姿だけではなく、その人の本質、運命、あるいは神の存在を映すもの。

鏡は、長いあいだ、少し畏れを伴う道具でもあったのです。

ナルシスは、本当に池に落ちたのか?

鏡と自己像の話で思い出されるのが、ギリシャ神話のナルシス(Narcissus/ギリシャ語ではNarkissos)です。

女神ネメシス(Nemesis)によりは、ナルシスは「決して手に入らない相手を愛する」という運命を与えられます。

泉の水面をのぞき込んだナルシスは、そこに映った姿に恋をしました。けれども、それが自分自身だとは、はじめは理解できません。触れようとすれば像は乱れ、離れれば再び現れる。

彼は、その場を離れられなくなります。

この物語は、しばしば「自分の姿に見とれて池に落ちた話」として簡略化されますが、本当は違います

本当は、池に落ちたのではなく、ナルシスは水面の像をずーっと見つめ続け、かなわない恋に衰弱し、やがて水仙の花へと姿を変えたのです。

池に転落するバージョンと、衰弱して花になるバージョンとがありますが

私は、この違いは大切だと思います

ナルシスを滅ぼしたのは、単に「自分が好きすぎたこと」ではありません。

目の前のと、生きている自分自身との距離が分からなくなり、その像から離れられなくなったことだと思います。

執着 – これは、現代にもよく似ています。

私たちは、いつから自分の顔をこれほど見るようになったのか

私自身、子どもの頃、自分の顔をじっくり観察する機会はそれほど多くありませんでした。

もちろん家には鏡がありましたが、自分の顔について強く意識した記憶といえば、学校の集合写真や証明写真を見て、「ああ、自分はこんな感じの顔なんだ」と思った程度です。

自分の顔は、自分にとって常時観察する対象ではありませんでした

むしろ、他人の記憶の中にあるものだったように思います。

そこに、プリクラの時代が来ました。

写真を撮り、少しきれいに見せ、友人と共有する。

見た目が人の注意を引くこと自体は、昔から変わりません。しかしプリクラの頃から、自分の顔は「たまに記録されるもの」から、「撮って、選んで、少し整えて、見せるもの」へ変わり始めたのかもしれません。

そして現在は、スマートフォン、インカメラ、動画、ビデオ会議、SNS、画像加工、フィルターがあります。

私たちは鏡を見るだけではありません。

自分を撮り、拡大し、左右を入れ替え、静止させ、他人と並べ、数値で反応を受け取り、さらに理想化された顔と比較します。

しかも、写真は撮影距離、レンズ、光、角度、表情によって大きく変わります。

それでも私たちは、その一枚を「客観的な自分の顔」だと思い込みやすいのです。

研究でも、外見の理想像を強く示すSNS画像への接触は、身体イメージに悪影響を与え得ることが示されています。

一方で、SNSを使えば誰もが必ず深刻な問題を抱える、というほど単純でもありません。縦断研究でみた関連は小さく、影響の大きさには個人差があります。

問題は使用時間だけでなく、何を見るか、誰と比べるか、見たあとに自分をどう評価するかにあります。

SNSが悪なのではありません。

ただ、人類がこれまで持ったことのないほど多くの「鏡」を、私たちがポケットの中に持つようになったことは確かです。

見た目を気にすることは、すべてルッキズムなのか

近年、「ルッキズム」という言葉をよく耳にします。

本来問題にすべきなのは、外見を理由に人の価値、能力、人格まで決めつけ、不利益を与えることです。

容姿によって採用、評価、人間関係、社会的機会が不当に左右されるのであれば、それは批判されるべきです。

また、本人が変えにくい身体的特徴について、周囲が一方的な基準を押しつけることにも慎重であるべきでしょう。

しかし、外見に関わるすべての行為を「ルッキズム」として否定してしまうのも違うと思います。

髪を整える。清潔な服を着る。場に合った服装を選ぶ。

自分を整えることは、自分のためだけではなく、相手に対する配慮でもあります

重要な場面で服装を整えるのは、

「私はこの場を大切にしています」

「あなたに会うために準備してきました」

という、言葉を使わない意思表示です。

医療の世界でも、医師の服装が患者さんの信頼感や安心感に影響することが報告されています。

もちろん、白衣を着ているから優れた医師であるとは限りません。それでも服装や清潔感が、相手との関係をつくる一つの情報になることは否定できません。

私たちは、ただ本能のままに生きる存在ではありません。しかし、本能とすごく近所である「印象」というものを持っております。

人間は場に合わせ、相手を思い、色や形を選び、文化をつくってきました。そして、その文化背景をもとに様々な経験をして、それらを「印象」として蓄積します。

「印象」いわゆる「本能」を一つ高い次元へと高めている引き出しとなります。

大切なのは、印象を整えることと、外見で人間の価値を決めることを混同しないことだと思います。

美容医療は、鏡を増やす仕事であってはいけない

見た目の悩みが軽くなることで、人前に出やすくなったり、写真を避けなくなったり、長年のコンプレックスから解放されたりする方は実際にいます。

外見を整えることが、自分らしく生活する助けになることはあります。

しかし、それと同時に美容医療が新しい欠点を次々に発見するための鏡になってしまってはいけません。

治療を受けるほど安心するのではなく、確認する箇所だけが増えていく。

そのような状態では、必要なのは次の施術ではなく、いったん鏡から離れることかもしれません。

美容外科医の役割は、患者さんの希望をすべて肯定することでも、「それはルッキズムです」と悩みを否定することでもありません。

実際に診察してみると、ご本人が強く気にしている部分と、顔全体の印象を左右している部分が一致しないことがあります。

反対に、わずかな変化でも、全体の調和が大きく改善することもあります。

だからこそ、施術名から考えるのではなく、まず、なぜそう見えているのかを整理する必要があります。

その悩みは、日常の対人関係の中で生じているのか。

それとも、特定の角度の写真を拡大したときだけ現れるのか。

治療によって何が変われば十分なのか。

そして時には、「今は治療をしない方がよい」と判断することも、美容外科医の仕事です。

必要なのは、鏡を捨てることではなく、距離を選ぶこと

外見にこだわることは、悪いことではありません。

身だしなみを整え、自分を少しよく見せようとし、相手や場に敬意を示すことは、人が社会と文化を築く中で身につけてきた大切な営みです。

美しさを感じる感覚も、自分を表現する楽しさも、否定されるべきものではありません。

一方で、鏡に映る像が、自分自身よりも大きな存在になってしまうことがあります。

ナルシスの物語が今も残っているのは、単なる「自惚れへの戒め」だからではないのでしょう。

像に心を奪われ、像と自分の境界を見失う危うさを、人間が昔から知っていたからではないかと思います。

鏡を見ることと、鏡に支配されることは違うからです。

必要なのは、禁止でも無条件の肯定でもなく、その人にとっての「ちょうどよい距離」を考えることです。

美容外科医として、私は患者さんと同じ鏡をのぞき込みながらも、その像だけに引き込まれない立場でいたいと思います。

変えるべきところがあるのか。変えるとしても、どこまでなのか。あるいは、今は何もしない方がよいのか。

行き過ぎず、足りなさすぎず、必要な治療を必要な分だけ。

見た目について考える時代だからこそ、その「加減」や「塩梅」を見定めることが、美容外科医に求められているのだと思います。

参考文献・参考資料

  1. Ovid. Metamorphoses, Book III, Narcissus and Echo.
  2. 國學院大學「古代の人々が『鏡』に感じた特別な意味」
  3. de Valle MK, Gallego-García M, Williamson P, Wade TD. Social media, body image, and the question of causation: Meta-analyses of experimental and longitudinal evidence. Body Image. 2021;39:276–292.
  4. Rahman E, Webb WR, Rao P, et al. A Systematic Review on the Reinforcement Loop in Aesthetic Medicine and Surgery. Aesthetic Plastic Surgery. 2024;48:3475–3487.
  5. Mironica A, Popescu CA, George D, et al. Social Media Influence on Body Image and Cosmetic Surgery Considerations: A Systematic Review. Cureus. 2024;16(7):e65626.

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