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無知 どぅ 宝(むち どぅ たから)
監修医師
MSA美容外科 院長モレロ オースティン誠
1989年、アメリカ生まれ。10歳より沖縄で育つ。日本とアメリカ、双方の文化や価値観に触れてきた経験を生かし、患者様一人ひとりが持つ異なる美意識や希望を尊重した診療を大切にしています。日本語・英語の両方で診療を行い、国内外の知見を取り入れながら、自然で長期的な美しさを目指した美容医療を提供しています。大手美容外科にて約8年間、美容外科・美容皮膚科診療に携わり、2024年にMSA美容外科を開院。
略歴
2018〜2024年 大手美容外科沖縄院 院長
2024年 MSA美容外科 開院
資格・所属学会
日本美容外科学会(JSAS)認定専門医
日本美容外科学会(JSAS)正会員
日本美容外科学会(JSAPS)関連会員
The Rhinoplasty Society 海外会員
American Academy of Cosmetic Surgery(AACS)正会員
日本美容皮膚科学会 正会員
日本美容外科医師会 正会員
前回のコラムの続き
前回のコラムでは、沖縄の土地が高騰し、そこで暮らしている県民が、沖縄の土地を買えなくなりつつあることを書いた。そのなかで、少しだけ浦添西海岸の話をした。
現在、サンエーPARCO CITYが建っている場所について、話をした。カーミージ(亀瀬)についてである。
あそこは、もともと海だった。
私は浦添で育ったので、埋め立てられる前の海を知っている。中学生の頃、友人と釣具やモリを持って海へ行った。私たちがカーミージーと呼んでいた浦添西海岸は、本当にきれいだった。運が良ければ、ウツボやウミガメを見ることもできた。
いまPARCO CITYを利用している人のなかで、あの海がどれほどきれいだったのかを知っている人は、どれくらいいるのだろうか。
PARCO CITYの下にあった海
浦添市の公式記録によれば、2009年から約1年8か月をかけて埋め立てられた海は、東京ドーム約4個分の埋立地である。あの新しい橋も含めたら、もっと大きくなりそうだ。
もちろん、PARCO CITYが悪いとわけではない。雇用が生まれた。地域経済にも大きく貢献している。多くの人が買い物や食事を楽しむ場所になった。私はいいと思っている。
しかし、便利になったからといって、そこに海があったという事実まで消してよいわけではない。
あの海は、キャンプ・キンザーという米軍基地の前にある海だったから、埋め立ててもよかったのだろうか?
ジュゴンという分かりやすい存在が登場しなかったから?
なぜ、あの海は「守るべき沖縄の海」には選ばれなかったか?
曙も、西洲も、昔から陸地だったわけではない
時間がたつと、埋立地は「昔からあった土地」に見えてくる。
那覇市の曙や那覇新港周辺、浦添市の西洲も、いまでは昔から存在していた街のように見える。
しかし、この一帯はほぼ全てが埋め立て地だ。
那覇市曙と西洲まで含めたらm約43万8千坪。東京ドーム約31個分である。
これは辺野古の埋立予定面積の約93%に相当する。
つまり私たちは、辺野古とほぼ同じ規模の土地が、那覇と浦添の海岸にすでに造られている風景を、日常として受け入れて暮らしていることになる。
そこには住宅があり、倉庫があり、道路があり、商業施設がある。
便利になり、経済的利益が生まれると、そこに海があったことすら忘れてしまう。
一方、辺野古については、海、サンゴ、ジュゴンという言葉が繰り返し語られる。
宜野湾や北谷も、莫大な埋立地は沖縄のあちこちにあって、今は当たり前のように暮らしを支えている。
その前に、ジュゴンとは何?
ジュゴンって何?
普天間飛行場の移設問題、そして辺野古の埋め立てをめぐっては、海、サンゴ、ジュゴンなど、さまざまな切り口から反対運動が行われてきた。
ジュゴンが大切ではないと言いたいのではないが、ジュゴンって何?
調べてみると、日本周辺では極めてまばらにしか生息していない絶滅危惧種らしい。
そこで、考えた。私たちは、本当にジュゴンを守ろうとしているのか?
それとも、基地移設に反対するために、ジュゴンという存在を利用しているのか?
海を本当に守りたいのか?
それとも、政治的な立場を正当化するために、必要なときだけ海を語っているのか?
基地に関係する埋め立てだから反対する。
商業施設や物流施設のためなら、あまり問題にしない。
もし判断基準がそれだけなのであれば、守ろうとしているのは海ではない。自分の政治的な立場である。
最初に結論があり、その結論に都合のよい材料だけを集める。
それは議論ではなく、ポジション・トーク。
そして、ポジション・トークが成立するためには、一つの重要な条件がある。
聞く側が、知識を持たないこと。 そう、 無知どぅ宝。(むち どぅ たから)
私の日本で最初の担任
私が日本に来て、最初に担任となった先生がいた。
名前は伏せるが、いま振り返ると、かなり左寄りの思想を持った先生だったと思う。遅刻をしただけで、ゲンコツもされた。怖かったけど、褒める時は満面の笑みで、大好きな先生だった。
小学校教諭を務めたあと、沖縄の教育行政にも長く携わった方で、ネットで検索してみると、今も教育関係に従事しており、沖縄の平和教育に尽力されている。
しかし、いま思い返して驚くのは、その先生の戦争教育が、意外なほど中立的で、単純ではなかったことである。
もちろん、沖縄戦の悲惨さを教えた。私も日本という国に来たことによるカルチャーショックの上に、さらなるショックを受けた。旧日本軍が沖縄県民に与えた被害や、そのなかで起きたさまざまな過ちについても厳しく話していた。
しかし一方で、牛島満司令官の話などでは、一人の人間としての人物像や、当時の軍人が置かれていた立場についても話していた。旧日本軍を美化していたわけではない。しかし、すべてを分かりやすい悪役にもしなかった。
「日本が悪い」
「アメリカが悪い」
という、簡単な話では終わらなかった。
小学生だった私には、正直、よく分からない部分も多かった。
それこそが、戦争の恐ろしさ。善悪や生死の境界線はぼやけ、明日という未来も霞む。
少なくともそういう解釈で 先生の教えは私に刻まれた。
教育とは、分かりやすい答えを覚えさせることではない。
答えの出ない問題を、考え続けられる人間をつくることなのだと思うし、その起爆剤を与えてくださった先生には今も心の中で感謝している。
2000年頃の沖縄の空気
1996年、日米両政府はSACO最終報告において、今後5〜7年以内に普天間飛行場を返還する方針を示した。1999年11月、沖縄県は移設候補地として、「キャンプ・シュワブ水域内名護市辺野古沿岸域」を公表。
そして、2000年、沖縄では九州・沖縄サミットが開かれた。
世界の首脳が沖縄に集まり、この島が基地問題だけではなく、アジア太平洋に開かれた国際交流の拠点として世界に示された。
その翌年の2001年には、後にOISTとなる構想が打ち出されている。OISTはサミットで直接決まった事業ではないが、サミット後の沖縄振興の流れと無関係ではなかったとも思う。タイミング的にも、そういう流れはありそうだ。
とにかく、この頃の沖縄には、基地問題を抱えながらも、政府や経済界と交渉し、現実のなかで沖縄を前へ進めようとする空気があったように思う。
しかし、同時に世界は大きく変わっていた
しかし、この頃、世界的な大事件が起きていたのだ。
2001年、アメリカ同時多発テロ。
そこから「テロとの戦い」が始まり、アフガニスタン戦争、そして2003年のイラク戦争へと続いた。
沖縄が直接的な戦場となったわけではないが、戦争に派兵される兵隊が沖縄にいたことは確実であった。
そして、2004年には、普天間飛行場所属の米軍ヘリコプターが沖縄国際大学に墜落した。
普天間飛行場の返還方針が示されてから、すでに8年が過ぎていた頃だ。
それでも移設は進まなかった。
2008年にはリーマン・ショックが起きた。
住宅ローンが原因で起きた、世界規模の経済危機だった。日本も大きく影響を受けた。
そして、2009年、不況の中、自民党政権への信頼は落ちた日本では、民主党政権が誕生した。
鳩山由紀夫首相は、普天間飛行場について「最低でも県外」と期待させ、オバマ大統領に対する、いわゆる「Trust me」発言もあった。
この頃、故・翁長雄志氏を中心とする沖縄保守が中央政府から離れ始め、後の「オール沖縄」につながる流れが生まれた。
しかし、結局、民主党政権は県外移設の現実的な道筋を示すことはできず、政府の見解としては、最終的には辺野古案へ戻ってしまった。
すでに積み上げられていた交渉をいったん白紙に近い状態へ戻し、沖縄県民の期待を大きく膨らませ、オール沖縄も誕生させたあとで辺野古へ回帰したことで、問題がさらにねじれ、政治的な不信が深まったことは否定できない。
ここで、前回のコラムを思い返してほしい。
「沖縄の土地は、いったい誰のものになるのか?」
アメリカでもない、日本政府でもない、沖縄のものだ! と言いたいところだが、現実はどう?
結局はお金のない身分、力がない身分なので、色々と我慢をするしかないのでは?
「Trust me」やオール沖縄に振り回され、基地問題に多くの政治的エネルギーが費やされている間にも、沖縄の他の問題は十分に解決されないまま残った。
振興予算・公共事業への依存
国庫への依存
県民所得の低さ
観光産業への偏り
子どもの貧困
学力・教育格差
人材流出
土地・住宅価格と所得の乖離
どうやってこれらの問題を解決する?
どんなに上手にカチャーシーを踊れても、誤魔化せませんよ。

知らないからこそ、正義が通る
PARCO CITYの下に、きれいな海があったことを知らない。
曙や西洲が埋め立てだったことを知らない。
知らなければ、比較しなくて済む。
比較しなければ、矛盾に気づかなくて済む。
矛盾に気づかなければ、誰かが用意した「正義」を、そのまま信じることができる。
だから、無知であることは都合がよい。
まさに、無知どぅ宝。
考えさせないというのは、都合の悪い事実を隠すことと同様。統制も楽だ。
でも、このSNSやネットが普及している現代。ちょっと調べれば、色々とわかってくるもの。
無知を吹き飛ばし、自分の頭で考え、責任を持って行動するためのツールは揃っている。
「無知どぅ宝」では、命は守れない。
答えがなくても、考えよう。
そして、考えたうえで選び、その選択に責任を持とう。
その積み重ねをできれば、沖縄の本当の価値がやっと芽生えるのだと思う。
こんだけ、美しい土地と人々がいるのだから。
それこそが、新時代の「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」の始まりだ。
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